46歳にして父になる コウノドリの「出産は奇跡」を体験

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記事タイトルに書いたように、娘が産まれ、46歳にして父になりました。

わたしらしく父になるのも遅かったです。

Never too late 遅すぎるということはないという言葉が心に染みる

2017.09.13

今回は、妊娠中から出産のときのことを書いてみようと思います。

わたしは、「コウノドリ」のドラマはシーズン1もシーズン2も全て観ましたし、コミックも全て読みました。

さらに、昨年の7月から放送されていた「透明なゆりかご」というドラマも全話観ました。

コウノドリのドラマを観たときは、妻はまだ妊娠はしていませんでしたし、透明なゆりかごの放送が開始した直後くらいに妊娠が判明したと思います。

コウノドリはとにかく涙が出るドラマで大好きなドラマでした。

コウノドリで、鴻鳥先生が「出産は奇跡」と言っているのを聞き、「そうだよなぁ」とは思っていました。

まさか、そのときは自分の出産(もちろん、実際に出産するのは妻ですが)で奇跡を感じるとは思いませんでした。

子供が欲しいと思っていたころや、実際に妊娠してから、こういったドラマを観たり、コミックを読んでいました。

妊娠がわかってからは順調に週数が進んでいったと思います。

そして、里帰り出産をすることになりました。

里帰り出産をするかどうかはずいぶんと考えたのですが、里帰り出産の方がいいだろうという結論になりました。

しかし、里帰り出産には欠点もあります。

わたしの場合は、妻の実家が遠いところが欠点でした。

出産をする病院までは、早くても6時間はかかります。

簡単には帰れないという点は問題でした。

そういう問題点はありましたが、妊娠34週で、1月下旬には妻は里帰りをしていました。

そして、先週の木曜日には臨月に入りました。

ついに臨月まで来たなぁ、あと1週間すれば正産期に入る、もう少しだ。

このときは、初めての出産だったので、少し遅れるのではないかと思っていました。

ちなみに、出産予定日は3月7日でした。

ですから、今年は3月7日までに確定申告業務を終わらせるつもりでいました。

そんな状況だったのですが、36週3日で状況は一変しました。

朝6時半にスマホの着信音が鳴って目を覚ましました。

寝ぼけながらスマホを見てみると、着信は妻からでした。

妻とは普段lineでやり取りをしています。

こんな時間に電話の着信とは何かあったのかなと思いながら、「もしもし」と出ると、通話はもう切れていました。

そしてスマホの画面を見ると、「破水して病院に向かっている」というメッセージが。

「破水?」

寝ぼけていて破水って何だっけ?と思いながら、ちょっとずつ頭が回転していきます。

まずは、「大丈夫なのか」という思いが湧いてきます。

メッセージのやり取りで状況を確認しているうちに、妻は病院につき、診察を受けました。

助産師さんによると、この時点でまだ陣痛もないし、子宮口も開いていないので、産まれるまで時間がかかるのではないかとのことでした。

朝8時の時点では、今日は産まれないだろうということだったのです。

こういうときに、近ければ、何も考えずにすぐ病院に向かうのですが、最短でも6時間かかるので、この時点ではもう少し様子を見ることにしました。

このときに、妻から、もしものときの連絡先などを書いたメモの存在を聞かされ、1回目の涙が出てきました。

「出産は奇跡」

何が起こるかわかないとは思っていても、もしもの連絡先を聞かされて、涙が込み上げてきました。

その後、11時に状況がまた変化します。

今日産まれそうということになり、わたしは病院に向かうことになりました。

それでも準備に時間がかかり、新幹線のチケットを取り、家を出たのは12時45分になっていました。

そして、13時半には陣痛室に入り、子宮口は7センチとのメッセージが入りました。

そのとき、わたしが乗った電車はまだ船橋駅あたりを走っていました。

これは間に合わないかも、と思い始めました。

そして、16時前には「産まれたよ!」とメッセージが入りました。

わたしはまだ名古屋を過ぎたあたりでした。

実際に産まれたのは、14時54分だったので、横浜あたりを走っていた頃でした。

あっさり産まれてしまった、と思いました。

立会いにはこだわりはなかったのですが、産まれる瞬間に病院にはいたいと思っていたので、少し残念な気がしました。

しかし、送られてきた写真を見て、そんなことはどうでもよくなりました。

それくらい、子供の写真は強力です。

初めて見た我が子の写真です。

「ちっちゃいなぁ」というのが第一印象でした。

36週3日で、2212gで産まれました。

ちょっと早いし、ちょっと小さいので心配ではありましたが、元気に泣いているということを聞き、一安心しました。

結局わたしが病院に着いたのは18時半頃でした。

妻からのlineは17時くらいからは途切れていました。

病院につくと、何やら様子がおかしく、妻が出血をしていて痛みもあるとのことでした。

出産時に500ml以上出血をし、その後さらに出血をして、すでに1000ml以上出血をしているとのことでした。

看護師さんの説明によると、そこまでの緊迫感は感じられませんでした。

その時間帯は、ガラス越しに赤ちゃんを見ることができる時間帯だったので、赤ちゃんをずっと見ていました。

赤ちゃんは、やはりちっちゃく、目もずっとつぶっていて、ほとんど動きませんでした。

生きているのか心配になるくらいです。

たまに動くと、大丈夫だ、生きていると思いました。

あまりにも動きが少ないので、保育器に入らなくて大丈夫なのかなとも思いました。

その後、妻の容態が悪化していきました。

出血が止まらないらしく、その辺りから、心配が増していきました。

19時になると、赤ちゃんを見ることもできなくなり、妻の処置を待つ時間になりました。

だんだんとただならない感じになっていきました。

21時に先生の説明があり、出血は2000mlを超え、子宮にバルーンを入れ止血し、輸血をするとのことでした。

病院の血液では足りず、取り寄せている血液がもうすぐ届くとのことでした。

バルーンで出血が止まらなければ、大学病院に搬送するとのことでした。

その後、先生の説明を聞くたびに状況が悪くなっているように思えました。

待っている時間がとても長く感じました。

自分は何もできないというもどかしさも感じていましたが、祈ることしかできません。

第二の涙が流れます。

コウノドリや透明なゆりかごのワンシーンが頭をよぎり、最悪のケースも頭をよぎりました。

最悪のケースは考えないようにしようと思いつつ、頭によぎってしまうのです。

先生から、DICの症状が出ているとも聞きました。

DICをスマホで調べると、とても怖いことが書いてありました。

大丈夫なのだろうか。

22時半になり、その日最後の先生の説明がありました。

出血は3000mlを超えたとのことです。

とりあえず、輸血は一晩中続けて様子を見るとのことでした。

バルーンは24時間後に外すという話でした。

何かあったら、わたしの携帯に連絡が入ることになりました。

結局、妻のご両親とわたしは、23時頃に病院を出て、妻の実家に戻りました。

その夜はほとんど眠ることができませんでした。

第三の涙が流れます。

とにかく、携帯よ鳴るなと思いながら、時間が過ぎていきました。

結局、朝まで携帯は鳴ることがありませんでした。

妻の実家を7時半過ぎに出て、8時前には病院に着きました。

助産師さんに聞くと、朝まで輸血をしていて、輸血の量は3600mlくらいとのことです。

出血した分を輸血したことになります。

そして、出血は収まっているようでした。

昨日は、妻の顔色はとても悪かったのですが、朝はちょっと赤みが戻り、顔色はだいぶ良くなっていました。

痛み止めの効果もあるのか、痛みもだいぶ収まっているようでした。

先生の朝の診察があり、24時間様子を見ると言っていたバルーンを外すことができました。

この時点で、だいぶ落ち着きました。

妻の様子も、前日に比べるとだいぶ良くなっているように見えました。

13時半からは、赤ちゃんと対面することができました。

前日はガラス越しの対面でしたので、初めて赤ちゃんに触れることができました。

指を手に近づけると握ってくれましたし、足の裏はとても柔らかかったです。

そして、前日はずっと目を閉じていましたが、今回は目を開けています。

黒目も動いているのが確認できました。

前日はほとんど動いていなかったので、心配をしていましたが、元気で安心しました。

このときに撮った写真がアイキャッチ画像の写真です。

産まれて23時間といったところです。

この時点で、妻もだいぶ容態が回復し、赤ちゃんも元気ということで、わたしは四街道の自宅に帰ることにしました。

前日の朝、妻から破水したという連絡が入ってから、30時間以上が経過していました。

その30時間は、現実なのかな、夢じゃないのかな、と不思議な感じがしました。

前日は、心配でたまらなかったのに、翌日はだいぶ安心して病院を後にすることができました。

一時は本当に最悪のことも考えましたが、出産から24時間以上が経過し、ちょっと安心できるところまできました。

もちろん、もう少し様子を見る必要はありますが、とりあえず、出産は無事に終わりました。

母子ともに無事に出産を終えることをずっと考えていたので、ホッとしました。

コウノドリを読んで、出産は奇跡だと思っていましたが、そのことを自分で実感することができました。

最後に、妻に一言「良く頑張ったね、産んでくれてありがとう!」

そして、病院の先生を始め、この出産に関わって頂いたすべての方に感謝します。

※どの人が助産師さんで、どの人が看護師さんかわかっていないので、文中は助産師さんで統一しました。

わたしの記憶に基づいて書いています。事実と異なる部分もあるかもしれません。

また、個人の体験記ですので、医学的な根拠に基づいて書いているものではありません。

【編集後記】

遅すぎることはないという言葉は好きですが、出産に関しては、遅いことは色々なリスクが高くなります。

しかし、無事に産まれてくれて本当に良かったです。

ちなみに、妻の年齢はわたしより若いということだけ書いておきます。


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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ 千葉県生まれ、千葉県育ち。 四街道市在住。 小規模企業の節税に強い、渡邉ともお税理士事務所 代表税理士。 節税をしながら、長期の資産形成をサポート。