第二子が誕生しました

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このブログで何度も書いていますが、わたしの人生は色々と遅いです。

今回は、48歳にして第二子の女の子が生まれました。

予定日より1ヶ月以上も早く生まれましたが、母子ともに無事に出産を終えました。

1人目の出産のときの記事はこちら。

46歳にして父になる コウノドリの「出産は奇跡」を体験

2019.02.12

今回の出産予定日は11月16日でした。

第一子のときに引き続き、今回も里帰り出産をしたのですが、コロナの影響で、里帰りをしてから2週間の待機期間が必要でした。

ですから、通常よりも早く31週くらい(9月9日)で里帰りをしていました。

そして、今回は逆子ということで、38週0日となる11月2日に帝王切開になる予定でした。

第一子のときが、36週で生まれていたので、第二子はもう少し長くお腹の中にいて欲しいねと妻とは話していました。

里帰りの待機期間を終えて、病院に行くと、早産の傾向があるということで入院を勧められました。

33週で入院を勧められたときは、結構ショックでした。

今回は、1歳8ヶ月の娘がいるので、妻が長期入院をすることは簡単ではありません。

しかも、妻と娘は里帰りをしていますので、わたしは何もすることができません。

そういう訳ですぐに入院という判断はできずに、妻の実家で安静にして、次の診察まで様子を見るということになりました。

いったん入院になると、出産まで入院になる可能性が高いとも言われました。

そうなると、妻と娘は2ヶ月にも渡り離れて暮らさなくてはならなくなります。

コロナの影響で、入院をすると家族といえども面会もできないということが、入院をするという判断をさらに難しくさせました。

そういった状況で迎えた次の診察では、何とか入院をしなくても大丈夫だろうということになりました。

ただし、逆子の状態で家で破水をしてしまうと赤ちゃんの生死に関わるとも言われ、妻は入院も覚悟していたようです。

結局、入院をせずに妻の実家で安静にするという選択をしました。

そして、里帰りをして4週間が過ぎ、わたしは久しぶりに妻と娘に会いに行くことになりました。

妻の実家は奈良県にあり、毎週末に会いに行くというのはなかなか難しいので、久しぶりの再会を楽しみにしていました。

その反面、1歳8ヶ月の娘が4週間振りに会うわたしを見てどんな反応を示すのだろうという不安もありました。

わたしのことを忘れていたらどうしよう。

そんな気持ちで娘と4週間振りに再会した訳ですが、娘の反応はどうにも微妙なものでした。

わたしを見て、目をパチクリさせていました。

里帰り前は、保育園に迎えに行く時は、わたしを見つけると、笑顔で走って来てくれていました。

それが、笑顔も見せずに目をパチクリしていました。

知らない人ではないけれど、誰だろうと思っているような感じでした。

これは結構ショックでした。

4週間会わなかっただけで、こんな反応になってしまうのか。

毎日保育園に迎えに行き、毎日お風呂に入れていたのに、と思うと娘との時間の貴重さを思い知りました。

小さな子供との時間は本当に貴重です。

もし、これから育児をする人(特に男性)がいるとしたら、お子さんとの時間はとても貴重なものだということを知っておいて欲しいと思います。

抱っこをしても、何か今までとちょっと違う感じがしました。

発する言葉が増えていたり、動きも今までしていなかったような動きをしたり、4週間の成長はとても大きいです。

その過程を見られないことは寂しいことです。

娘の反応や成長に少し寂しい思いもしながら、妻の方は安静に過ごすことで無事に週数を進めていきました。

妊娠に関する本で、34週になると、今産まれても赤ちゃんは自分で呼吸ができるというのを読んでいたので、34週になった時はちょっと安心しました。

そして、11日の日曜日にわたしが千葉に戻る日がやって来ました。

34週と6日のことです。

この日は10時半に妻の実家を出て千葉に戻る予定でした。

10時過ぎに妻の実家の庭で娘と遊んでいると、妻が破水をしたかもしれないと言ってきました。

えっ!このタイミングで、と思いました。

34週6日というのはちょっと早かったので、もう少しお腹の中にいて欲しかったと思いました。

とりあえず、車で、すぐに通っている病院に向かいました。

しかし、病院に電話をしたときに、34週での出産だと、新生児集中治療室(NICU)に入ることになるが、ここにはその設備がないので、大学病院に行くことになると言われていました。

通っていた病院に着いて診てもらうと、やはり破水している、もう赤ちゃんがお腹の中にいるメリットはない、と言われ、大学病院に搬送されることになりました。

救急車で搬送されたのですが、わたしは初めての救急車を経験しました。

大学病院で診察を受け、やはり、すぐに帝王切開ということになりました。

大学病院での診察ではちょっと驚いたこともありました。

33週くらいの診察の時に、赤ちゃんは1800gくらいと言われていたのですが、大学病院では、最初1500gと言われたのです。

これにはかなり驚きました。

1800gと言われてから2週間くらいたっていたので、2000gくらいにはなっているのではと思っていたからです。

2000gであれば、生まれてきても大丈夫なんじゃないかと思っていましたが、1500gと聞くと、一気に不安になりました。

もう一度エコーを見てもらったのですが、さっきのは古い機械だったからと言われ、2回目のエコーでは1700gと言われました。

1700gでも、思っていたよりは小さいのですが、少しホッとしました。

そんな感じで、ちょっと不安な気持ちになりながらも、病院から色々な説明を受けました。

そして、すぐに手術になりました。

その後の展開は早く、14時頃には、無事に女の子が生まれました。

1回目の出産の時に、妻は大量出血をしていたので、その点が1番の心配でしたが、今回の出産では出血も少なかったと聞いて、安心しました。

そして気になっていた赤ちゃんの体重は1882gでした。

これを聞いた時も、かなり安心しました。

小さいとは言え、1500gと1882gでは、安心感がかなり違う気がします。

ただし、NICUに入ることに変わりはありません。

NICUの先生の説明を聞きながら、わたしは、「コウノドリ」のことを思い出していました。

帝王切開の執刀をした先生は、鴻鳥先生、NICUの説明をしてくれた先生は白川先生と思ったけど、女性だったので、新井先生、とか思ったりしていました。

それから、産科の先生は、本当に帝王切開のことを「カイザー」って言うんだなとか思いました。

生まれてから2時間後くらいに、赤ちゃんを見ることができました。

第1子が2212gで小さかったと思っていましたが、やはり、1882gというのは、とても小さいです。

でも、しっかりと生きているということは感じられました。

そして、第1子にとてもよく似ていると思いました。

今は、コロナの影響で、妻とは面会をすることができません。

ですが、10月からは赤ちゃんとは面会ができるようになったみたいです。

赤ちゃんはまだとても小さいのですが、赤ちゃんと面会できることは良かったです。

第1子よりも早い出産になりましたが、第1子の時の出産がとても大変なものだったので、今回は順調に出産が終わったようにも思います。

ただし、赤ちゃんは第1子よりも小さく、リスクも高いです。

現にNICUに入っていますし、まだまだ何が起こるかはわかりません。

このような状況で、ブログで記事にすることがどうなのか迷いましたが、1000記事以上も書いてきたブログですので、書くことにしました。

病院を出たのは18時過ぎでした。

10時15分頃から、予定がガラッと変わり、とても長い1日に感じました。

とにかく、今は無事に出産が終わったことにホッとしています。

今後も、赤ちゃんの成長を見守っていきたいと思います。

【編集後記】

出産って何が起こるかわからなくて、本当に大変だなあと改めて思いました。

でも、こんなに嬉しいことはありません。

少子化が進んでいる日本ですが、多くの人が子供が欲しいと思えるような世の中になって欲しいと思います。

アイキャッチ画像は、今回出産をした大学病院の待合室から撮った写真です。

このブログは、千葉に帰る新幹線の中で書きました。


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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ 千葉県生まれ、千葉県育ち。 四街道市在住。 小規模企業の節税に強い、渡邉ともお税理士事務所 代表税理士。 節税をしながら、長期の資産形成をサポート。